2011年 08月 16日
今年の特別な夏
今年の終戦記念日は66回目、米国との開戦から70年目というわけだが、
その10年位も前からすでに中国とは戦争をしていたのだということを忘れては
いけない、ということは前にも書いただろうか。
毎年どうしても、この時期を黙って過ごすことはできないが、今年は特に、
3.11東日本大震災を経験し、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマとつながってしまった、
特別な、特別な66年目の夏だ。
この時期に多く放送される、開戦、戦中、終戦に至る真実の一端を語る
ドキュメントや映画・ドラマなどを見るのが、最近の私の「正しいお盆の過ごし方」
である。残り少なくなった生き残りの方々から、やっと絞り出される貴重な体験談を、
しっかりと見聞きしておかなければならないと思うのだ。
私ごときが知らなかったことをここ数年必ず1つは知る、などというのは当たり前
かもしれないが、この大戦にまつわる真実を語る新しい事実が、66年経ってなお
発見されている。いや、数十年経ったからこそやっと世の中に出てこられたという
情報もあるというわけだ。
戦後、GHQ統治上の都合と日米政府のその後の利害思惑で、長く極秘資料と
されたものが多くあり、今後なお、世の中に明かされる事実がまだあるのだろうと
いうことも改めて思った。
今年知ったことで最も衝撃を受けたのは、原爆が投下されることを、その5時間
以上も前に、ヒロシマとナガサキの両方ともに軍部は知っていたということだった。
米国に比べて日本の情報力はなかったといわれていたが、決してそうではなかった。
情報部は1か月以上前から米軍の動きは傍受していて、当日も上に報告をしている
のに、なぜかどこかで握りつぶされたか無視されたというのである。
当時情報部でこの情報を上層部に上げたという、貴重な証言者が、「知っていた
のに…何の手も打てなかったのが、今でも本当に悔しい」と述べていた。
せめてこの爆弾が落ちるという空襲警報だけでも出ていたなら、あんなに大勢の
悲惨な被害者を少しでも減らすことができただろうに!と。
本当にこれは、この大戦の歴史の中でも最大級のナゾである。
この時、空襲警報がまったくなかったというのは事実だったらしい。そういえば、
井上ひさしの戯曲による映画「父と暮らせば」でも「空襲警報もなかった…」と
いう主人公のせりふがあって、たまたまこのドキュメンタリーの後でこの映画を
観た私は「あっ」と思った。井上ひさしは、この史実をふまえて書いている。
家の外に出たばかりの父と娘の生死を分けたのは、偶然灯篭の陰になった
娘とまともに空を見上げた父との差だった。
この夏に実は亡くなった、私の好きなタイプの俳優 原田芳雄演じる父は、ヒロシマの
原爆で死んだのだが、生き残った者の"罪悪感"を持ち続けて苦しむ、娘の宮沢りえ
を案じて(幽霊になって)毎日出てくる話である。
井上ひさし一流のおかしみをちりばめながら、涙もろい私でなくても涙なくては観られない、
ほんとうの反戦・反原爆映画だった。そもそも舞台劇用に書かれたものだから、
私好みのせりふ劇で、ぜひ舞台も観たいと思った。丸谷才一も「戦後日本の最大の
喜劇」と称賛したという。
どうしてこの、人類初の残虐悲惨な道具を使われる前に終戦できなかったものかと、
多くが思うところだが、3月10日の東京大空襲辺りから終戦に向かう、天皇周辺の
動きの興味深い話も新たに知った1つだった。
・・・というところで、思った以上に今回のハナシが長くなったので、この続きは次回に
することにしよう。
その10年位も前からすでに中国とは戦争をしていたのだということを忘れては
いけない、ということは前にも書いただろうか。
毎年どうしても、この時期を黙って過ごすことはできないが、今年は特に、
3.11東日本大震災を経験し、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマとつながってしまった、
特別な、特別な66年目の夏だ。
この時期に多く放送される、開戦、戦中、終戦に至る真実の一端を語る
ドキュメントや映画・ドラマなどを見るのが、最近の私の「正しいお盆の過ごし方」
である。残り少なくなった生き残りの方々から、やっと絞り出される貴重な体験談を、
しっかりと見聞きしておかなければならないと思うのだ。
私ごときが知らなかったことをここ数年必ず1つは知る、などというのは当たり前
かもしれないが、この大戦にまつわる真実を語る新しい事実が、66年経ってなお
発見されている。いや、数十年経ったからこそやっと世の中に出てこられたという
情報もあるというわけだ。
戦後、GHQ統治上の都合と日米政府のその後の利害思惑で、長く極秘資料と
されたものが多くあり、今後なお、世の中に明かされる事実がまだあるのだろうと
いうことも改めて思った。
今年知ったことで最も衝撃を受けたのは、原爆が投下されることを、その5時間
以上も前に、ヒロシマとナガサキの両方ともに軍部は知っていたということだった。
米国に比べて日本の情報力はなかったといわれていたが、決してそうではなかった。
情報部は1か月以上前から米軍の動きは傍受していて、当日も上に報告をしている
のに、なぜかどこかで握りつぶされたか無視されたというのである。
当時情報部でこの情報を上層部に上げたという、貴重な証言者が、「知っていた
のに…何の手も打てなかったのが、今でも本当に悔しい」と述べていた。
せめてこの爆弾が落ちるという空襲警報だけでも出ていたなら、あんなに大勢の
悲惨な被害者を少しでも減らすことができただろうに!と。
本当にこれは、この大戦の歴史の中でも最大級のナゾである。
この時、空襲警報がまったくなかったというのは事実だったらしい。そういえば、
井上ひさしの戯曲による映画「父と暮らせば」でも「空襲警報もなかった…」と
いう主人公のせりふがあって、たまたまこのドキュメンタリーの後でこの映画を
観た私は「あっ」と思った。井上ひさしは、この史実をふまえて書いている。
家の外に出たばかりの父と娘の生死を分けたのは、偶然灯篭の陰になった
娘とまともに空を見上げた父との差だった。
この夏に実は亡くなった、私の好きなタイプの俳優 原田芳雄演じる父は、ヒロシマの
原爆で死んだのだが、生き残った者の"罪悪感"を持ち続けて苦しむ、娘の宮沢りえ
を案じて(幽霊になって)毎日出てくる話である。
井上ひさし一流のおかしみをちりばめながら、涙もろい私でなくても涙なくては観られない、
ほんとうの反戦・反原爆映画だった。そもそも舞台劇用に書かれたものだから、
私好みのせりふ劇で、ぜひ舞台も観たいと思った。丸谷才一も「戦後日本の最大の
喜劇」と称賛したという。
どうしてこの、人類初の残虐悲惨な道具を使われる前に終戦できなかったものかと、
多くが思うところだが、3月10日の東京大空襲辺りから終戦に向かう、天皇周辺の
動きの興味深い話も新たに知った1つだった。
・・・というところで、思った以上に今回のハナシが長くなったので、この続きは次回に
することにしよう。
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by mitakayoko
| 2011-08-16 17:36